そこは"大人"が座る席だから君にはまだ座る資格がない。
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わたしの父は新聞社の人間だった。
記者ではなかったが、
父の作る新聞が毎朝届くことを楽しみにしていた。
衆院選の夜はいつもいない。
昼間に家族で投票に行った後、
父は東京の本社まで衆院選の記事の為に出社する。
社会的に大きな事件があれば
休日返上で会社に出る。
父の仕事は、
そういう仕事なのだと子供ながらに思っていた。
でも実は父の作る新聞をちゃんと読み始めたのはここ何年かである。
紙媒体が機能を失っても
おそらく新聞は生き続けるだろうとあの震災のとき思った。
去年の3月11日、
大きく掲載された編集手帳から
私は新聞の虜になった。
そしてその新聞の電車の中吊り広告がまた新しくなった。
いつも通り、
その剣より強いペンで書かれたあの文を見て
心に突き刺さる一級の言葉に感動する。
ものの本によれば、紅葉が美しく色づくには三つの条件があるという。
昼間の日差し、夜の冷気、そして水分である
悩みと苦しみ(冷気)に打ちひしがれ、
数かぎりない涙(水分)を流し、
周囲からの温かみ(日差し)に触れて、
人の心も赤く、黄いろく色づく。
紅葉の原理は、どこかしら人生というものを思わせぬでもない。
〈濃いも薄いも数ある中に…〉。
唱歌『紅葉』そのままの彩りが山すそを縁取る。
この週末、
所用で福島県郡山市を訪ねた行き帰り、
新幹線の車窓から眺める紅葉はいつもの秋にまして目にしみた。
東北の被災者は、この8か月余りで一生分の冷気と水分を味わった人たちである。
復興に、がれきの処理に、除染に、日本人一人ひとりが可能な限りの“日差し”を持ち寄らなくてどうする――と、自戒をこめて思う。
紅葉は日本人に深く愛されて、慣用句にも用いられてきた。
乳幼児のかわいらしい手のひらを「モミジのような手」と言い表し、
恥ずかしさなどで顔を赤らめることを「モミジを散らす」と表現する。
身を省みれば、モミジを散らすこと、なきにしもあらずの晩秋である。